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essay―HANAゆうきの足跡―
●黄繭の糸を探していたら、タイに出会いました。

黄繭 カンボジアの黄繭の糸が、やっと届きました。

1997年も終わりの頃、「染織α」という雑誌の通信欄に 『カンボジアですでに途絶えていた養蚕や伝統的な織物の復興に取り組んでいる日本人がいて、その村で紡いだ糸がやっと販売できる量、質になったので、購入希望者は申し込んでほしい。』 と言う記事を見つけて、探していた宝物に出会った思いでした。

1998年7月祇園祭も近ついた頃、半ばあきらめつつも 待ちに待った黄色の糸が、やっと届きました。
はやる思いで糸を取り出したのですが、その糸を見るなり、手で触るなり、悲しさと残念な思いですっかり落胆してしまいました。
年に一度春繭の頃、生繭で座繰りやずりだしで糸を引いていますが、不器用な私でさえびっくりするような糸としか、この場ではいえません。
値段が高いのは、支援したいのですから納得ずみですが、これでは繭がもったいないし、現地でも良い絹織物を織るのは困難ではないでしょうか?

悪いことばかりでは、ありませんでした。

カンボジアの糸の世話をなさっていた東京の高田さんという女性と、その糸のことで電話のやりとりをするようになりました。
カンボジアでのプロジェクトへの支援、例の黄繭糸に関する苦労話を聞くのを御縁の始まりに、2ヶ月後にはお互い顔も知らぬままバンコクの国内線ターミナルで出会う約束で、 私にとっては初めての訪タイとなりました。

タイといえば,パック旅行の観光。リゾート。そしてぴかぴかのタイシルク。
私にはそのような認識しかなく、強いて行きたい国ではありませんでした。
それが高田さんからの一言、
『黄繭の養蚕や伝統的な織物は、タイ東北部でまだまだ残っているのですよ。今、ケア-ジャパンという組織から桑の専門家・山川氏が赴任されているのでお訪ねしようと思いますが、一人旅なのでよかったら一緒にどうぞ。』
という連絡でした。

カンポウジュというタイの黄繭糸とすずしを使ったもので、
黄繭糸特有のワイルド感が特徴です。 1998年9月に初めて、タイ東北部・ィサ-ンの町ウボンから、スリン、コラートの織物の村々を回りました。
それ以後、すっかりタイ東北部のマットミーと呼ばれる布や カンボジアの流れを汲むクメールの人たちの布にはまってしまいました。
乾季と雨季、一年に二度のペースで二週間くらいの時間をかけて、ィサ-ンの養蚕や織物の村に行きます。
織物が縁で、その土地・そこに住む人たちをも好きになりました。

2000年2月の初めには、高田さんと二度目の旅をすることになりました。
バンコクで出会い、そのときはチャーターした車でコラートまで行きました。
知り合いになった日本人の農場で、ブーゲンビリアの花びらで染めたり、マンゴスティンの殻で染めたりして4、5日一緒に過ごしたあと、スリンでそれぞれの目的にむかって、別れました。東京での再会を約束しつつ・・・。


高田さんと言う方の、個人的なことは何一つ知らない。
ただふたりともが、機を織り、布が好きと言うだけのつながりですが、黄繭の糸を縁に出会えたこと、とてもとても感謝しています。

その高田さんが亡くなったこと、そして長年癌と闘っていらしたこと、 7月になって知りました。

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