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essay―HANAゆうきの足跡―
●モモタマナの葉とマンゴスティンの殻

こどもたち 2000年8月の終わり頃、高校2年生の娘美帆子と、その友達のまいこちゃんを伴ってウボンに出かけました。

旅の目的は強いて言うなら、この若い女の子たちに観光ツアーとは違った外国を、そこで暮らす人達を見せたいというか、接する機会を持つのに丁度よい時期だったからです。

それに加えて今回は、ウボンの街からは車で1時間半位奥に入った村で学校の先生をしているラットさん、ノパラットさん夫婦の両親の家で、タイの植物で染めることになっていたのです。
モモタマナはHuu-Kwaangで何とか理解してもらえました。
モモタマナの大きな葉っぱが、鹿の耳の形をしているから「Huu-Kwaang」というのだそうです。
お寺や学校によくあると聞きました。
早速ノパラットさんが先生をしている学校に行くことになりました。

村の子供たちが外国人を見る機会はほとんどなく、喜ぶというので駄菓子やさんに途中寄ってもらい、人数分のスナック菓子を買い占めました。
高学年の子供たちは他の学校との合同授業で留守でしたので、残っていたのは4年生以下の子供たちが100人程だったでしょうか。
外部の人が学校を訪問する時お菓子をもらうのが習慣のようですが、そう度々あるわけでもなさそうで、恥ずかしそうな仕草がなんとも純粋でかわいいのです。

これぐらいのお菓子ひとつで、順番に並びながら「コップンカー」と手を合わせ膝をかるくおる仕草は、習慣性の違いとはいえ、あまりにも素朴で。
その瞳の輝きに高校生の娘たちもすっかり子供たちに魅せられたひとときでした。

モモタマナの葉 翌日ラットさんの両親の家にいき、広い庭の大きな木の下で火をおこし、子供たちが集めてくれたモモタマナで染めました。 媒染に使うみょうばんは、ノパラットさんが天然のものを用意してくれていましたし、私は日本から消石灰と木酢酸鉄を持って行きました。 モモタマナの若い葉っぱと落葉したものとでは、やはり随分ちがいます。青い葉っぱの染液で染めたものは、黄色がとてもあざやかで黄緑に近い生命力が匂い立つようで、私はすっかり気に入ってしまいました。 落葉したものは黄色ぽさは全くなく、こっくりした茶系に味があって 染めて干している時はなかなかいい色に染まったと喜んでいたのですが、乾くとボケた感じになってしまいました。   雨季に豊富でとてもおいしいマンゴスティンという果物の殻の裏側が赤紫色で、これを見ると誰もが染めてみたいと思うことでしょう。ノパッラットさんが朝の市場でたっぷり買っておいてくれました。お昼ご飯のあとのデザートとしてみんなで嫌になるまで食べました。

染液 午後からはマンゴスティンの殻を煮出して染液が濃くなるのを待ちます。
さあ、作業開始と娘たちに声をかけに家の中に入ると、天井でゆったりと回る大きな羽の扇風機の下で、気持ちよさそうにお昼寝中のふたりでした。

染液はピンクっぽいベージュなのですが、染めるとなかなか赤みは残ってくれません。
一晩ぐらいつけ込むといいのですが、時間的に無理なので、ベージュ色に仕上がりました。

干し いつのまにか隣近所のおばさんたちも集まってきて見物です。
この村でも20年ぐらい前までは女性たちが、ウボンのシンボルの柄のもめんを織っていたのです。
今では機のある家は一件もありませんが。

はじめは静かに、そのうちにバナナの葉をはいで染めの道具をつくってくれたり、洗い終わって干してある糸を慣れた手つきでさばいてくれたりと手伝ってくれているのです。
「昔は私達もしていたんだから、任しておきなさい。」
といわんばかりに。
口も手もだしてにぎやかな一日がおわりました。

お礼に染めたスカーフをこの家のおかあさんの首にかけて帰ろうとすると、おかあさんもまたウボンの柄の布を私にかけるなり、突如踊りだしました。
息子のラットさんが慌ててママのためにテープをいれます。

おかあさんの流暢でとても幸せそうに踊るタイダンス?にあっけにとられていた私たちも恥ずかしいのを忘れ、見よう見真似のタイダンスもどきに汗だくになりながら、お別れをしました。
ラオ語しか話さないおかあさん、おとうさん。
にわか勉強のタイ語の単語を連発するだけの私。
おかあさんの歓迎してくれている気持ち、まいこちゃんにも美帆子にもしっかり伝わりました。

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