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essay―HANAゆうきの足跡―
●ポジャギの美を訪ねて

ポジャギの美を訪ねて 【洗練されたポジャギの美しさ】

韓国のテレビドラマを見ていると、庶民の生活の中で頻繁に食事のお膳に布が掛けられて運ばれているのを眼にする。
この布はポジャギと呼ばれるもので、漢字で「褓子器」と書く。
ポジャギは品物を包んだり、覆ったりするための韓国の伝統的な布で、日本の風呂敷や袱紗のような機能を果たすものらしい。
種類もいろいろで、それぞれ呼び方があるようだ。
刺繍をしたもの、捺染によるもの、パッチワークのもの、その素材も、木綿、麻、絹、そして袷(あわせ)になっているものもあれば、夏用として使われていたであろうか、単(ひとえ)のものなどもある。

ポジャギの美を訪ねて 寝具を包むイブル褓(ポ)、衣類を包むオッ褓(ポ)、食事の膳に掛けられたポジャギはサンポ(床褓)と呼ばれ、布の中央につまみが付けられているのは、持ち上げやすいようにと考えられているのだろう。
庶民が生活の中で使った民褓(ミンポ)と両班(ヤンバン)や宮廷で使われていた宮褓があり、宮褓の素材は主に絹で、色彩豊かな糸で喜びの文様を刺繍で表現されている。

ポジャギの美を訪ねて ソウルにある刺繍博物館を訪ねると、李朝時代の屏風に施された刺繍の模様の美しさに眼を奪われる。
館長の許東華(ホドンファ)さんが流暢な日本語で解説して下さり、京都で草木染の手織りをしていることを告げると、自宅まで案内して約千点のコレクションについて語ろうとして下さる。
残念ながら、飛行機の時間の都合でゆっくりはできなかったが、ポジャギなどに見向きもされない頃より収集された布への熱意に感動してしまう。
日本でも許東華館長の講演を聞いたり、コレクション展を見る機会があるそうだが、ソウルの絲田刺繍博物館の決して広いとは言えない空間に展示された、ごく一部のコレクションをこの建物の空間の中でぜひ見てもらいたい。

ポジャギの美を訪ねて 婚礼用のポジャギには吉祥模様が縫いとられ、一針一針に込められた古人の願いが晴れやかで、おおらかだ。
様々ある中で私が好きなのは、モシのチョガッポで、パッチワーク技法のポジャギがチョガッポと呼ばれる。
庶民が余り布や使い古した布の切れ端をつなぎ合わせて再生したポジャギの美意識の何と洗練されていることだろう。

ポジャギの美を訪ねて 絹の袷のチョガッポは対照的な色彩構成が美しい。
夏用の単のものには、穏やかな中間色のものもあり、日本人の感覚に溶け込みやすい。
苧麻という麻素材(モシ)でつなぎ合わされた単のチョガッポは、夏用で主に衣類を包むために使用されたらしいが、モノトーンでしっとりまとまっていたり、中間色どうしの繊細な色使いのものが多く、いつまでも見飽きることがない。
許東華館長の話しでは、素材が絹であったり、麻であったり、また刺繍・染・パッチワーク技法などと、地域によっても特色があるそうだ。


ポジャギの美を訪ねて 【伝統の布に学ぶ韓国文化】

日本において私たちの世代が、袱紗を特別な儀式用として、タンスの中にしまい込み、風呂敷にものを包むことも近頃では少なくなってしまった。
私の住む京都では、まだまだ仕事柄、大きな風呂敷に反物を包んで行き交う姿を眼にすることは多いが、日常生活においては、紙袋を使うのがあたりまえになってきている。
韓国の若者たちがポジャギということばは知っていても、生活の中に存在せず、興味もなく、古くさいものと捉えているとしても、そのことを嘆く資格などない。

ポジャギの美を訪ねて 六年程前になるだろうか、初めてソウルを訪れた時に案内してくれた友人たちに、江南(カンナム)の現代(ヒュンデ)百貨店に続く地下街に、刺繍作家の専門店があるので連れて行ってほしいと頼んだところ、六人いた韓国人たちは皆不思議そうな顔をしていた。
その時の私には、彼らの反応に意外な感じさえしたものだ。
ただポジャギの美しさにひかれ、その後何度かソウルを訪れる中で、ポジャギが生れた文化的な背景や歴史、現状がどのようなものであるか、外国人の私にもおぼろげながら理解できるようになった。

ポジャギの美を訪ねて 十五年ほど前にポジャギは人びとの前から姿を消した時期があるらしい。
婚礼用の特別なものとしてしか、記憶に残らないのも当然であろう。

縁あって知り合った韓国からの留学生たちの人柄にひかれ、漠然と韓国文化をもっと知りたいと思う中で次第に私の視点が定まってきた。
韓国の伝統的な技術、文化が今なお現代に生きるものとして残っているものはないのか。

ポジャギの美を訪ねて 韓国社会の急速な高度経済成長だけでなく、日本との歴史的関係の中で韓国独自の伝統的な染や織の文化が、戦前の日本の植民地支配の中で荒らされてしまって、ほとんど残ってないのではないか。
博物館や民俗村では眼にすることができるが、今なお現代社会に変身しながら残っているものがあるか。
あるなら自分の眼で確かめたい。
焼物や韓紙などいろいろあるに違いないが、布好きの人間の眼に飛び込んでくるのは、やはり布しかない。

ポジャギの美を訪ねて そんな中で出会ったのが、韓山のモシであり、現代作家のポジャギだった。
ポジャギの美しさは、むしろ現代的な感覚のアートとして注目されている。
個人的な伝手をたよって新進のポジャギ作家、李種南(イ・ジョンナム)さんと、刺繍の道を極め、国務総理賞などを受けた金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんを訪ねることになった。
私だけでは余りにもったいないことだ。

ポジャギの美を訪ねて 1999年の五月に「韓国の染織を訪ねる旅」を企画し、『月刊染織α』誌上で参加者を募ったところ、反響の大きさに驚きと共にうれしい悲鳴をあげることになるのだが、準備するにつれて責任の重さに体中が固まっていく気分だった。


ポジャギの美を訪ねて 【麻の村・韓山の朝市へ】

参加者は私を含めて25名で、予定では関空出発で企画したのだが、結局は成田、名古屋、関空、福岡、現地組が金浦(キンポ)空港で初めて顔を合わせることになった。
北は盛岡、南は長崎から、職業も様々だが、さすがに染織文化に対する意識の高さに、三泊四日の旅でとても有意義な時間を共有することができた。

ポジャギの美を訪ねて 韓国内ではよく知られている手織りの麻布は、安東布(アンドンポ)と韓山(ハンサン)のモシといわれるものだ。
安東は大麻を育てて、村の女性たちが糸にして織っている。
近頃では高級な背広などに使われていて、光沢のあるしっかりした麻布だ。

ポジャギの美を訪ねて 韓山というところの麻布は、苧麻の細い糸で織った薄い織物で、モシと呼ばれている。
ポジャギの中でもモシをつなぎ合わせただけのチョガッポを作品として発表しているのが、李種南さんだ。

ポジャギの美を訪ねて 今回の「染織の旅」では、ポジャギに焦点を絞り、その素材になるモシの村の韓山を訪ねることにした。
一日目は金浦空港から、江南にある絲田刺繍博物館を訪問し、そのまま南へバスで三時間の儒城(ユソン)温泉で宿泊した。

ポジャギの美を訪ねて そして翌早朝の三時前にはホテルを出発して韓山の朝市に行った。
その日は土砂降りの雨でまだ真っ暗闇の中、裸電球が一つ二つと燈る中で、アジュモニ(おばさん)たちが集まってくる。
糸を売るハルモニ(おばあさん)や、湿ったままの反物を一つ大事そうに袋から出して、モシの値段を付けてもらっている女性たちで、狭い広場もだんだん熱気を帯びてくる。

ポジャギの美を訪ねて ほんのり明るくなる頃には、もう人はいない。
韓山のモシは蝉の羽のごとく薄い麻布として、夏用の衣類としては高級品だ。


ポジャギの美を訪ねて 【現代に甦るポジャギアート】

三日目は私たちの日程に合わせて、仁寺洞(インサドン)にある画廊で個展を開いてくれた李種南さんの作品を見た。
彼女の作品の特徴は、モシを植物染料で染色して現代の生活様式に合うものとして発表している。

ポジャギの美を訪ねて パッチワークのようにつなぎ合わせたものを、タピストリーなど、伝統的なチョガッポの技法やパターンを忠実にまねることで、伝統を伝えていくことと、またミシンを使ったもので、日常生活の中で、親しみやすいものも作ることで、若者たちにも注目されている。

ポジャギの美を訪ねて 色彩的にもしっくりしていて、それでいて大胆な構成だ。
博物館で見るだけのポジャギではなく、生活と共にあるポジャギを作っていきたいという彼女の姿勢に、お互いの共通点を感じとっているのだろう。
二年後に日本で一緒に作品展を開く約束になっている。

ポジャギの美を訪ねて いよいよ最終日には、日本でも紹介されたこともあり、数々の賞を受賞されている作家の金賢姫先生をお訪ねした。
刺繍を教えていらっしゃる政府関係の学校に作品を持ってきて一枚ずつ丁寧に見せて頂いたのだが、包みを開かれた途端、教室中に感嘆の声が響いた。
感動の声をあげたその口がふさがらないと言っても、大げさではない。
先生とその作品を囲んでいた大きな輪が一瞬にして一固まりの山になってしまったのだから。

ポジャギの美を訪ねて 刺繍とパッチワークを併用したものが多く、色も深みがあり、重厚な感じである。
何と言っても針仕事そのものの手が美しい。
この繊細さをことばで伝えることは不可能だろう。

ポジャギの美を訪ねて 通訳を引き受けてくれた友人の梁憶寬(ヤンオッカン)氏も自国の文化にかなり意識的な人だが、彼曰く、「今回の旅でポジャギの最高の美しさをすべて見てしまったという思いで、うれしいショックを受けた」そうだ。
最近、金賢姫先生の作品が日本の高校の家庭科の教科書の表紙に載ることに決まったそうで、 私たち日本人の訪問を楽しみにして下さったらしい。

ポジャギの美を訪ねて 今回のモシとポジャギを訪ねる旅は、韓山での土砂降りの雨以外は、気味が悪いほどすべてが順調で、充実した旅となったことに感謝したい。
参加して下さった方々の人間性に助けられている点も多いが、旅の手配を依頼した韓国の旅行社の方々の協力と熱の入り方にも寄るところが大きい。

ポジャギの美を訪ねて 参加者に満足してもらえたことは、うれしいことだ。
時間が経った今、改めて振り返ってみると、この旅が、旅行社のベテランガイドや添乗の青年にとっても、初めての体験であったり、韓山のアジュモニたちが喜んで私たちを迎えてくれたことが、何より嬉しい。

ポジャギの美を訪ねて

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