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essay―HANAゆうきの足跡―
●再び!バーンクム小学校の子供たち

再び!Baan Kum小学校の子供たち 半年後、2001年の9月初め私と美帆子は、このBaan Kum小学校に再び行ってきました。





再び!Baan Kum小学校の子供たち 今回はバンコクのワオ家に2泊、ホームステイでお世話になった後、ワオさん親子と一緒にウボンに向かいました。



再び!Baan Kum小学校の子供たち 空港にはいつものようにラットさん夫婦が出迎えてくれました。
この時期は雨季でじめじめ暑いのですが、今年は日本の夏が異常に暑かったためかタイに来てからの方が少し涼しく感じられます。

再び!Baan Kum小学校の子供たち でもタイの気候も例年より雨が多いように思います。
空港から土砂降りでホテルに着く頃からは雷雨となり、この夜は車もないのでホテルのレストランでタイ料理を食べることにしました。
ウボンだけではなく、バンコクやチェンマイなどは例外として、地方にはタクシーというものがないのです。
翌朝からはチャーターした車で回ります。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 一日遅れてポップさん(ワオさんの友人で現在、京都で私にタイ語を教えています。)も、ウボンに到着し私たちに合流しました。
空港へはワオさん親子、ラットさん夫婦と私たち親子の6人でポップさんを出迎えに行きました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち ワオさんやポップさんはバンコクっ子でその上、中学校を卒業後日本の高校、大学、大学院と10年(ポップさんは大学卒業後、2年間は日本企業に就職しワオさんと入れ替わりに今大学院生なので12年)日本で留学生として過ごしているのですから、タイを旅する機会がないので田舎を知らないのです。
とりわけイサーン地方にわざわざ行く人も珍しい様で、都会に住む若者には縁がないのが普通でしょう。

再び!Baan Kum小学校の子供たち ワオさんは今回で三回目になりますが、忙しい仕事の段取りをつけて旅行気分でママ共々私のイサーン行きに付き合ってくれていますし、偶然にもスタデイーツアーの引率でタイに帰っていたポップさんも行ってみたいという事で遅れてやってきたわけです。
二人共ウボンの空港にはタクシーがないのが不思議そうでした。
ポップさん合流でやっと翌日にはラットさんの小学校に行くことになりました。
日本の小学校で時々タイの話をするなどポップさんは子供たちと交流する機会も多いそうです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち タイの田舎の小学校にもぜひ行きたいと言う希望で彼の到着を待っていたのです。
翌日は早い目の昼ご飯をラットさんのお母さんの家でご馳走になった後、午後ラットさんが校長先生をしているバーンクム小学校でゆっくりすることになっていたのですが、突然あわただしい一日になってしまいました。
雨季のこの時期 日本のお盆のようなものらしいのですが、ウボンの有名なお寺でタンブンがあるということで突如早起きしてわたしたちもお寺に行くことになりました。
功徳を積む行為で、善行や出家、具体的には金品の寄付や食事を供養したりすることをタンブンというらしい。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 今回のタンブンは出家したばかりのお坊さんが11人いるということで、11人分のお坊さんの衣一式等 相当なお供え物(私から見ればですが)を用意してのお参りです。
ノパラットさんからこのタンブンの話を聞いた信仰深いワオママの計らいで全てが整えられました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち スーパーにお坊さんの衣から何から何まで売っているのに軽い驚きでしたが。
初めて体験する作法もぎこちないながらも、なんとか無事済ませ信者さんが用意した食事をお寺でいただきました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち お坊さんたちが食事をすませたあと皆でいただくのがタンブンなので少しでいいから食べてください、と言われたのですが 数え切れない種類のタイ(イサ-ン)家庭料理からデザート、果物が次々と回ってきてすっかりお腹一杯になり、ホテルの朝ご飯はパス。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 信者さんたちが一斉にお経をあげてお祈りしている間、出家したてのお坊さんたちは仏さんに一番近い場所でタンブン?の食べ物をひたすらというかもくもくと食べているのです。
雨季で托鉢に出られない僧のためにこの時期は村人が食べ物はじめ生活必需品をお寺に運ぶのだそうです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち タイの食べ物やそのスタイルに私もかなり順応的と思っていましたが、我が娘、美帆子の順応性には驚きというか、うらやましいものがあります。
彼女は辛いものは食べられないのですが、それをしっかり伝えた上でタイフード、タイ文化を満喫しているようです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち アイティムというタイ風サンドイッチ?を食べてみたいと言い続けていたのですが、彼女の思いが通じたのかウボン最後のランチのあと、やっとアイティム屋さんのリヤカーを見つけました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち パンにアイスクリームと練乳をはさんだもので、食べてみるととても美味しいのです。
ただ私だけでは屋台のアイスクリームはまず買わないでしょうし、日本とタイのコンビ二のソーセージの味を比べたりもしないでしょう。
若い人たちのおかげでハンバーガーなど味付けの違いを体験させてもらえます。
日本人の旅行者というと特に年配になるとガイドブックに書いてあるとおりにチップと言えば何でもかんでも10バーツ、氷はだめ、○○はだめ。と、とにかく初めからダメ、ダメ、危ない、でとても不自由なのです。
もちろんお腹をこわしたり、入院までした人もいるので自分の体調と相談のうえ十分気をつけなければいけないのですが。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 小学校の子供たちにはお菓子や文房具の他にドッジボールやサッカーボール、バドミントンセットを買いました。
日本からはおにぎりせんべいを140袋カバン一杯に詰めてもってきました。
前回持っていったカレールーは却下されてしまったので、現地調達ばかりでなく何か日本の味を味わってもらいたいと思い笑われましたが、気は心って言うでしょう?

再び!Baan Kum小学校の子供たち この日午後一番に学校に到着してポップさんや美帆子が子供たちと遊ぶ予定で先生や子供たちも待っているというのに、行く所々で遅くなり、ラットさんのご両親の家に着いたのが2時。
ここでも近所の人たちが手伝っていろんな料理を準備して待ってくれていたのですが、お腹が空いていた私たちはひたすら食べるだけ食べてお別れを言い、まるで食い逃げ同然で車に乗り込みました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 時刻は2時45分。
ここからどんなに頑張っても45分から1時間はかかるとのこと。
学校から遠い村の子供たちは3時半に迎えの車がくるので今から行っても子供たちは誰もいないかもしれないとラットさんも残念そうですが、とにかく行くことにしました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 雨季のため道が悪い中、ドライバーさんも必死で飛ばしてくれたお陰で3時半丁度見覚えのある小学校の門をくぐると子供たちも校庭で並んでいる最中で、あ-あ 間に合ってよかった、よかったと喜んでいると ワオさんがここは来たことがないというのです。
私と美帆子は見覚えがあるはずでここはノパラットさんの学校だったのです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち ノパラットさんが車に乗り込むなりまたしても猛スピードで30分、やっとバーンクム小学校に到着です。
この30分がかなり田舎というかますます奥地の村という景色になり、ノパラットさんの学校よりラットさんの学校の方がお弁当を持ってこられない家庭が多いため補助金の額が貧しさで違うようですが、それでも十分でなく学校内で色々苦心しているのでしょう。

再び!Baan Kum小学校の子供たち もう子供たちは帰ってしまっていないかもしれないとあきらめていたのですが、車が近ずくとワーッと歓声をあげて散らばっていた子供たちが集まってきて校門付近で整列して出迎えてくれました。
「遅くなってごめんねー。お菓子が来たよー。」と私たち。
ポップさんの通訳によると子供たちは口々に、「覚えてる、覚えてるーこの前来てくれたおねえさんやー」などと言っていたそうです。

しっかり整列した生徒たちにラット校長が厳しい顔つきでなにやら訓示らしきものをしたあと、お待ちかねのお土産の数々を手渡し、子供たちにはお菓子を配りました。

再び!Baan Kum小学校の子供たち ポップさんが突如、お金を寄付したいと申し出たのです。
彼はスタデイーツアーの学生たちから集めたお金の残り500バーツ=約1500円の有意義な使い道としてこの村の学校に寄付するのが最善と思ったのです。
タイの田舎の学校に初めて来てタイの教育現状など関心の深い彼のことですから、少しの間にラットさんやノパラットさんと深い話をしていたようです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち 500バーツ、一日の120人分のお昼代にはなります。最低一人分が6バーツかかりますが、政府からは半分も出ないのでお弁当を持ってこられる家庭はお弁当持参で、その他はご飯をもってくるように指導し、おかずは補助金で学校が用意しているのです。
ポップさん曰く、「お菓子よりお米を買う方が先決じゃないですか?」

日本から持ってきた例のおにぎりせんべい、予想通り先生たちや迎えに来た母親たちにも「アローイマー(好評)」でした。
思わず日本の味が恋しくなります。

再び!Baan Kum小学校の子供たち ポップさんと美帆子が唄に合わせて指を使った遊びを子供たちに紹介するとこれが結構指がばらばらに動かなくて難しい。
徐々に慣れてきて先生や親たちも混ってのひとときでした。
かなり遠い村からもきているそうで暗くならないうちに帰らねばなりません。
車の荷台にぎっしり乗り込んだ子供たちが大声で叫んで手を振ってくれる中私たちもバーンクム小学校とお別れです。

再び!Baan Kum小学校の子供たち このあたりでは小学校を終えるとほとんどが都会に出稼ぎにでるとのこと。
来年この学校に来る時には何人かはもうこの村から出て都会で働いているのです。
最近、義務教育を長くする方針が出ているそうですが、早くそうなって少しでも長く教育が受けれるように願っています。
もっと力になれれば、と思いますができる範囲で子供たちの笑顔と出会いに行くつもりです。


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